歌舞伎俳優の市川團十郎さんが3日に肺炎のため亡くなられました。
昨年12月に亡くなった歌舞伎俳優の中村勘三郎さんに続いて、歌舞伎界を引っ張ってきた團十郎さんの死に歌舞伎界には衝撃が…。
團十郎さんは昨年12月に風邪による体調不良の為、舞台を途中降板し入院していました。
病気との関わりでは以前にも白血病で2回入院し、再発を乗り越えるなど壮絶な闘病の末に復活を果たしていた團十郎さん。
亡くなる数日前には見舞いに訪れた方に「早く舞台に復帰したい」と語っていたそうですが…。
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歌舞伎俳優・市川團十郎(本名・堀越夏雄、ほりこし・なつお)さんが3日午後9時59分、東京・虎ノ門の虎の門病院で肺炎のために急死した。66歳。昨年12月中旬に風邪による体調不良のため、京都・南座の舞台を途中で降板。その後、肺炎の兆候が見られたため、都内の病院で入院治療を行っていた。4月にこけら落とし公演が行われる東京・銀座の歌舞伎座の開場を前に、また一人、名優がこの世を去った。
2004年に死の淵をさまよう大病を患いながらも不死鳥のようによみがえり、江戸歌舞伎の大名跡を受け継ぐ役者として舞台に立ち続けてきた團十郎さんが、志半ばにしてこの世を去った。
関係者によると、昨年12月から入院していた團十郎さんは、集中治療室に入っていたものの、ほんの数日前までは意識もハッキリ。見舞いに訪れた人たちに も「早く舞台に復帰したい」と元気に話していたという。だが、04年に患った急性前骨髄球性白血病のため、免疫力が弱まっていたこともあり、病状が急変。 そのまま帰らぬ人となった。最期は長男の市川海老蔵(35)ら家族がみとったという。
海老蔵の襲名披露公演中に白血病で倒れたものの、約半年後の仏・パリ公演で復活。05年に病気が再発した際には、自家移植を行い、06年5月の「団菊祭」で復帰。会見では「無間地獄から戻ってきました。大航海時代の帆船に乗って、猛嵐で船底で揺られているようなもの。地獄の亡者みたいでした」と壮絶な闘病生活を語ったが、近年は再発の傾向もなく、寛解(骨髄などに白血病の細胞が観察されなくなった状態)したと公表していた。
10年11月には、海老蔵が暴行事件に巻き込まれ、7か月の謹慎。父としてやるせない思いをしたこともあったが、海老蔵の妻でフリーキャスターの小林麻央(30)が昨年末に第2子を妊娠していることが明らかになった時には、喜びの表情を見せていたという。
46年に江戸歌舞伎の名門・成田屋に生まれたが、新之助時代の29歳で父親の11代目團十郎を亡くした。後ろ盾をなくしながらも、根っからの真面目な性格で真摯(しんし)に歌舞伎に取り組み、海老蔵、團十郎を襲名した。「勧進帳」「鳴神」など、7代目・團十郎が制定した歌舞伎十八番など、家の芸をしっかりと継承。自らの努力で、歌舞伎界に不動の地位を築いた。また、07年3月には海老蔵とともに、長い歴史を誇る伝統のパリ・オペラ座で初の歌舞伎公演を成功させるなど日本の伝統文化を海外に紹介する重要な役割でも大きな足跡を残した。
歌舞伎界は、昨年12月に中村勘三郎さんが57歳の若さで死去し、大きな衝撃があったばかり。團十郎さんの死で、新生・歌舞伎座の開場を前に、大きな柱を失った。
◆市川 團十郎(いちかわ・だんじゅうろう)本名・堀越夏雄(ほりこし・なつお)1946年8月6日、東京都生まれ。11代目・市川團十郎の長男で、 53年に7歳で市川夏雄を名乗り歌舞伎座「大徳寺」の三法師で初舞台。58年に6代目市川新之助、69年に10代目市川海老蔵を襲名し、85年に歌舞伎座 で3か月にわたる襲名披露公演を行い、12代目・團十郎を襲名した。屋号は成田屋。
◆染五郎ら深夜に弔問 〇…團十郎さんの遺体は4日午前0時25分頃、都内の自宅に戻り、家族や関係者によって自宅に運び込まれた。近所に住む海老蔵、 小林麻央夫妻は同50分頃、團十郎さんの家を訪れたが、質問には答えなかった。深夜にもかかわらず、市川染五郎、中村時蔵ら続々と歌舞伎関係者が弔問に訪れた。
(以上スポーツ報知から引用)
歌舞伎界、昨年から訃報が続いていて本当に残念です。
つい先日まで、テレビでも元気なお姿を見たばかりだったのに…。
勘三郎さんが亡くなって、歌舞伎界を引っ張っていかなければ、という重圧もあったのではないでしょうか?
團十郎さんのご冥福をお祈りいたします。