中村勘三郎さん、急性呼吸窮迫症候群で病院で死去。その遺言とは…

歌舞伎俳優の中村勘三郎さんが今月5日、急性呼吸窮迫症候群病院死去されました。57歳でした。

芸能界でも多くの方が中村さんの早すぎる死を悼み、連日色々なテレビ局で、中村さんの追悼番組が放送されている中、
その中村さんが息子さんに残した「遺言」があることがわかりました。

その「遺言」とは…?

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急性呼吸窮迫症候群のため5日他界した歌舞伎俳優・中村勘三郎さん(享年57)は、自らの生きざまを題材にした「勘三郎一代記」をひそかにあたためてい た。

“父の生きざま”を長男・六代目中村勘九郎(31)、次男・二代目七之助(29)そして全国の歌舞伎ファンにお披露目したかったのだろうが、残念なが ら「幻の演目」となってしまった。
今年7月、「平成中村座」のロングラン公演後に食道がんの手術を受けた勘三郎さん。あるテレビ関係者によると、そのころから“遺言”を準備していたよう だ。「結局はその後、舞台に立つことはできませんでしたが、勘三郎さんは自身の生涯を題材にした歌舞伎の演目も考えていたそうなんです」

うまそうに杯を傾け、楽しくマージャンやゴルフに興じ、美女たちとは粋に、時に激しく浮名を流した勘三郎さん。破天荒にも見える生き方は、すべて歌舞伎のためといっても過言ではないだろう。そんな自らのたどった「芸の道」を舞台で表現することを思い描いていたというのだ。
「復帰したあかつきには『一代記』のような形を考えていて、脚本も仲のいい宮藤官九郎さんあたりに頼もうという話もあったようです。実際どこまで話が進んでいたかは分かりませんが、本人にしてみたら、子供たちに残す“遺言”だったのでしょうね」(前出のテレビ関係者)

 勘三郎さんの酒好きは割と有名な話だ。「とにかくみんなでワイワイ飲むのが大好き。それも、ひいきにしてる店を『元気かい?』と次々回っていく。ひと晩で5軒はしごなんてザラ。いくら使ったかなんて見当もつきませんよ」(飲食店関係者)

 だが「ばくち好き」は意外に知られてない。「先ごろ亡くなった森光子さんと先代勘三郎さんが、昔から仲良くてね。その関係で、今の勘三郎さんも公私にわ たって森さんと仲良くしていた。芝居の相談もしてただろうけど、なんといってもマージャンだ。一緒になって、夜な夜な打ってたそうだよ」とは知人の演劇関 係者だ。
何を賭けていたかは知る由もないが、今頃きっと天国で思い出に話に花を咲かせていることだろう。

 また、年末には必ず米国マイアミに仲間とゴルフ旅行に出掛けていた。“自画自賛型”だったようで、自ら打った球筋にほれ込んでテンションと集中力を高め、好スコアを叩き出していたという。

女性については、当代一の「色男」。中でも故太地喜和子さん、宮沢りえらとの浮名は周知の通り。
だが相手が女優や有名人でなくても「色男オーラ」はビンビン出ていたという。

「女性が、みんなとりこになるのがよく分かる」と振り返るのは、某テレビ局の女性スタッフ。「打ち合わせ一つとっても、気配りの度合いが違うんです。大御 所なのに、周囲のスタッフに『まず座りなよ』のひと言がある。話をしても、前のめりに相手の目をジ?ッと見つめて真剣に話を聞くんです。勘三郎さんのひと 言ひと言は、すべて皆を楽しませようというのが感じられます」
単なる「優しさ」ではない魔力と男の色気があったのだろう。

そんな勘三郎さんを最期までずっと支え続けてきたのが好江夫人だ。前出の演劇関係者の証言。
「勘三郎さんのヤンチャも許し、周囲も“歌舞伎役者の妻とはこうありたい”と称賛してました。亡くなる直前、危篤状態が続いていて、鼻の管を外せばいつで も楽にしてあげられるという状況だったそうです。でも好江さんは『そういうことはしたくない』と、ギリギリまで勘三郎さんを支えてあげていたそうです」

3歳で初舞台を踏み54年間、歌舞伎一筋に生きた勘三郎さん。“遺言”となった「一代記」の構想が実現していれば、歌舞伎ファンならずとも笑って泣ける名舞台になっていただろう。
(以上東スポWebから引用)

私自身歌舞伎は見たことがないのですが、勘三郎さんが亡くなってからテレビで勘三郎さんの生涯を見る機会がありましたが、
本当にすごい方だったんだな、って思いました。

幻になってしまった勘三郎さんの一代記、ぜひ見てみたかったです。

勘三郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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